学校ではない、各々が心地よく過ごせる居場所を求めて。
材料と工具、資料も用意して、みんなで手分けして看板を作るぞ!って意気込んでいた一方で、フリースクールという「居場所」で過ごす子どもたちの心境についても考える機会となった一日だった。
集まってくる子どもたちは小学生や中学生、あと付き添いのママさんに連れられてくる未就学児もいたりする。
スクールでは、代表の方やボランティアの方にサポートしてもらいながら自習をしたり、日替わりで予定が組まれているハンドメイドや料理をしたりして過ごす。
こうして過ごせる子どもたちを見ると微笑ましく思う。
ただ一方で、そういった関心がある感じではなく、オンラインゲームやお絵描きに没頭している子どもたちもいて、状況はそれぞれなんだなあ、って思うこともある。
そんな子どもたちには、どこか影を落としているような雰囲気も感じる。
前回の記事から、コメントをいただいた。
相当な下準備からお疲れ様でした。
入念な準備の様子にびっくりしました。
そのフリースクールでは始業の合図でその日の学びが始まるという感じではないようですが、学校以外の学びの場というよりは、各々が心地よく過ごせる居場所に重点を置いている感じなのでしょうか。
フリースクールの実態がよく分からず、ちょっと驚きでした。
スクールの形態はいろいろあると思う。
公共施設や会館の一室を借りて毎月数回、定期的に集まるようなスタイルもあれば、不登校生の各家庭を持ち回って日替わりのスクールにしている所もある。
物理的にリアルで集まるのが難しい場合は、オンラインミーティングのようなスタイルでも全国各地で開かれている。
ただ、代表の方が描いている理想像としては、ログハウスのような一軒家と小さな畑に囲まれた環境の中で、家庭菜園やバーベキュー、お泊り会をしたりして、各々が心地よく過ごせる居場所を子どもたちに提供したい、という想いが大きいようだ。
不登校になれば、家にこもってオンラインゲーム等にはまってしまうことは多い。
フリースクールにおいても、居場所の確保が優先なので、ゲームを通してコミュニケーションを図ることもある。
確かに、学校などの現実世界で心の傷を負った子どもたちが、ゲームの仮想世界に居場所を求めることは不思議ではない。
ただ、それが良いことなのか、良くないことなのか。
時代の流れだから仕方がないことなのか。
その点が僕には引っかかるものがあった。
このまま仮想現実やメタバースの世界に移行したとして、子どもたちが歳を重ね成長したとして、心身の健康が図られるとは思えないから。
仮想現実やメタバースの世界の中で仮想通貨などの金銭的なやりとりができたとしても、それを貰う場面、使う場面がどうにも健全に思えないから。
だから落としどころとして、ゲームの世界を居場所にするのではなく、居場所で過ごす一つの手段としてゲームがある、ということで納得はしてみるけど、奥底では不安は拭えない。
将来的に子どもが自立して生活できるのが解決、ゴールだとすれば、この現状は解決策だとは思えないのだ。
不登校生が年々増加しているのはニュースでも見聞きするが、特に例の感染症騒動に入ってからは休校、ステイホームなどで生活のリズムが大きく狂わされる事態に直面した。
その流れで、不登校が急増したというのは理解できる。
不登校の大幅な増加を受けて思うことがある。そもそも、不登校は問題ではない。不登校で子どもや親が苦しんでしまうことが問題であり、不登校を問題視する社会が問題なのだ。不登校の要因を本人の「無気力」に帰しているかぎり、社会は変わらないだろう。苦しむ当事者や家族をどう支援するか、今後も文科省や教育行政の動きを注視していきたい。同時に私たちは、不登校で苦しんでいる人に安心を届け、「不登校はあなたが悪いのではない」と、紙面を通してこれからも伝え続けていきたい。
不登校新聞 590号 ニュース 2022/11/15
なので、不登校なのは問題だ、だから学校に復帰させるべき、という前提で事を進めるではなく、不登校を問題視する社会に問題性があるのだから、学校以外の居場所づくりに我々がもっと積極的にコミットしよう。
そんな考え方にシフトしていく見直しの機会であると思う。
学校じたいが制度疲労を起こしているのでは、というのは不登校経験のある僕自身も実感しており、それはスクールの代表の方も同じ考えを持っているはず。
代表の方も過去の不登校の時期にゲームに救われた経験もあるようで、居場所の手段としてゲームを置くスタイルをとってはいるものの、理想はやはりログハウス、農的、手仕事的なコンセプトで、巣立った子どもたちにリアルな世界で自立・自活を望んでいるのだろうと思う。
代表の方は、今後NPO法人化とログハウス建設に向けて活動していくそうで、忙しくなりそう。
僕たち家族も活動にコミットすることになるだろう。
小さな一歩を、積み重ねよう。
極端かもしれませんが、個人的には、学校制度や学校文化に疑問をもつ子どもたちの”2割くらい”登校拒否をするような現状になったら教育が変わることを迫られるのではないか、と確信しています。
あと、これも個人的見解ですが、引用文にある”支援”という言葉はどうにも当事者性が弱く他人事な感じが拭えません。
支援者ばかりが増えて方向性を見失いがちになるので、自分事として捉えるべく、あえて僕は”コミット”にしたいです。