夢みる小学校、面接の日。選ばれる人であれ、父は見てるよ。
いよいよ、学びのさと小学校の面接の日。
年末に学校から与えられた二つの課題。
「プロジェクト学習という教育理念」
「学校生活を通して民主主義を学ぶ」
僕なりに、娘が産まれてからの6年間を振り返りながら、どう接してきたか、どんな新年をもって育ててきたかをエピソードをもとに文章にして提出した。
いま想うと、僕は娘には「選ばれる人であれ」を意識してきたのだ、と回想した。
大勢の中に埋もれた一人では、なかなか選ばれにくい。
チャンスに恵まれない。代わりは誰でもいい。
戦後教育のなれの果てが、いまの没個性。
考えず調べず、右向け右。
僕は、子どもが本能的に持つ「注目されたい」を大切にしてきた気がする。
僕自身が注目されない、引っ込み思案で埋もれていることに慣れすぎた人生だったから、その裏返しなのかもしれないけど。
赤ちゃんがお腹が空いたりウンチをしたり、不快を感じると泣いたり暴れたりして親に訴える。
だから、子どもの快・不快に敏感に反応してあげられるのが、親の務めだと思っている。
その延長線で、子ども自身が快を求めて不快を避ける行動を、自然と、何の阻害もなく発せられることができる自由度。
これが幼少期の子育ての家庭にはとっても重要だと僕は経験した。
さらにその延長線が広がり、自分の持つ発信力が、成長するにつれ「共感を得たい」につながっていくのではないのかな、と。
これを活かせられる環境が、少なくともこの自由な学校にありそうだ、と。
先々の計画はともかく、いまの時点で僕ができるベストな選択がこれだと確信している。
僕の考え、学校スタッフの考え。
これがマッチして、「選ばれる人」であれ、と願いたい。
学校へ向かう道中のこと。
僕の地元で一昨年まで営業していたインド料理店が、この地に移転していたのを聞いて、真冬のこの時期に訪ねることができた。
カレーセットをいただきながら、明日の面接に備えてリラックス。
大切な空間を提供いただき、感謝しています。