「あめる」ってどういうこと?

2023年2月23日

目次

僕はこの1年半くらいで、すっかり朝型人間になった。
歳のせいとは思わない。身体が自然とそう動くのだ。

朝活で僕は自分の弁当を作るのだけど、たいてい昨夜の残りのおかずか、冷蔵庫・冷凍庫に眠ったおかずを出して加熱して弁当に詰める。



夏のある日。冷蔵庫に入っていたバラ肉。
消費期限が1週間過ぎていたが、焼けば大丈夫だろうと思って匂いを嗅いだら、「あめて」いる、とすぐわかった。

チーズも、青カビが生えていればすぐわかるけど、一口噛んでみたらいつもの味と違う。「あめて」いる。
浅漬けのキュウリやナスも、何だか酸っぱい。「あめて」いるぞ。

さて、「あめる」という言葉の意味を、ニュアンスをわかる人はどれくらいいるだろうか??

「食べ物が腐る」ことだろう想像はつくけど、更に腐っているかどうか怪しい」という状態までを指す。
北海道や北東北の方言だ、といわれる。

だけど、北海道民でもいま「あめる」を聞くと、しばらく聞かない言葉だ、懐かしい言葉だ、って人もいれば、
何それ? の人もいるだろう。

そう考えるのも無理もないか・・・

だって、いまは食品から飲料、調味料、そして肉、魚、惣菜なんかのパッケージの賞味期限・消費期限をまず見る。
そして食べられるか使えるか、数字で判断してしまう人がほとんどだろう。


だけど、少なくとも僕の親の世代(戦中~団塊世代)あたりは、タッパーに保存した食べ物、おかずを開けてまず匂いを嗅ぎ、口の中に一口含み、いつもの味と違うな、という経験と直感をもとに食べていいか、腐っていないか判断をしたものだ。

いまは多くの家庭でそういう経験をほとんどしない。
そういう経験をしないで育った大人がかなり多いだろう。

だから、子どももその経験が養われない。
誤って腐ったものを食べちゃうか、ごみ箱に直行するか。

当たり前に保存がきく食品ばかりだと、そういう日常の五感、味覚や嗅覚を研ぎ澄ます機会を失っている。
食べ物の本来の味や香りの記憶がインプットされていないと、これは判断ができないし、実感ができないと思う。

食べ物ひとつが貴重で、大家族で分け合わねば生きてゆけなかった時代には、保存が必要なものは漬物や干物にしたり、塩や香辛料を混ぜたりしてムロ、地下室などに保存していた。

そしてこれから来るといわれる食糧危機には、そんな昔の知恵を呼び起こす、昔に返る必要に迫られる。
自然派で生きる、自然とともに生きるとは、そうした五感を研ぎ澄まし、呼び起こすことでもある。

大人が矢面に立って毒見をして、子どもには安全に美味しく食べてもらう。
そうやって命をつないできたのだろう。


「あめる」は北海道でももはや死語だろうけど、僕的には風前のともし火、といったところ。

この言葉の持つニュアンスを大切に、次の世代にも受け継ぎたいものだ。


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