等身大でできる仕事が、一つの影響力となっていければいい。
役所を辞める、最後の週末。
職場の駐輪場のインターロッキングに生えるふきのとうを眺めて、自転車を30分漕いで帰宅する。
今日はたまたま家の人が友人と泊まりに出かけているから、僕は独りで家にいる。
希望退職を願い出たのが去年の12月半ばだったから、そのときは辞めることに実感はあまりなかったけど、さすがにもう来週までなんだ、と思うと動揺は無くはない。
ただ、今後の不安、といったものはあまりない。
3月31日は、職場の定年退職者といっしょに奉職お疲れさまでしたの感謝状授与式に参加するけど、定年退職の人が悠々自適なセカンドライフを念頭に入れているのとは違って、これから更に大きな仕事を、活動をする使命があるから、ボルテージが高まるのだ。
世の中は不安ビジネスが隆盛を極めていて、老後2000万円だの保険だの健康雑誌だの、いろいろ不安材料を見せつけられるけど、実のところは歳を重ねるほど不安は軽減されていくのではないか、と思っている。
むしろ、若い層、将来何にでもなれる可能性のある人こそ、不安が強いのではないだろうか?
失敗するのは怖いし、責任の取り方というのもわからないし。
でも、僕も人生折り返しだし、これから20年以上働くとしても、できることの可能性が絞られている。
自己責任という意味も熟知している。
だから、老後という概念が無くなるくらい、自分の等身大でできる仕事をやり尽くして、それが社会への一つの影響力となれば、僕としては人生は万々歳だろうな、って思っている。
不安と感じないくらい、活動に励めばいいことだから。
いまは地方議員選挙が近いから、政治に関心が高まっている時期だと思う。
これはASKA氏が北海道の酪農業の危機を聞いたという内容のツイートを受けて、とある新興政党の支持者が挙げたツイートだけど、僕に当てはめてみると、政治に参加というのはこれまでは選挙に行くといったレベルだった。
しかし、この2年ほどの間、そうした自分の抱く危機や疑問を共有したく、地方議員の方や立候補経験者と直接会う機会を多くとった。
後援するというのもあるけど、議員や候補者その人独自の想いとか価値観に触れる機会も、こちらから出向いてとったことで、政治への参加というのがもっと身近になった気がしたのだ。
その流れから、「第一次産業」が「政府によって潰される」危機を、これからは当事者として、自分ごととして活動していくためにも、我々が実践家となって事実を突きつけていきたい。