話題の映画「夢みる小学校」ってどんな学校なのかな?
わが街でも上映会が開かれた映画「夢みる小学校」。
僕たちが夏に泊りがけで体験会に行った来春開校予定の 小学校 は、既に和歌山県や山梨県などにあるこの映画のモデル校の理念を受け継ぐコンセプトで開校する。
教科書がないとか、”先生”と呼ばないとか、既存の学校の仕組みを大きく変えたスタイルで注目を浴びているようだ。
それだけ今の学校制度に閉塞感を覚える人たちが多い、って証拠かもしれない。
例えば、小屋を子どもたちだけで造る。
寸法を測ったり、建材を切ったり、釘を打ったり。
危なかしい場面もいっぱいあるけど、「先生」役の地元の大人のスタッフの指導で組み立てていく。
そば打ちの実習は、地元のそば屋さんに行って粉の配合から学んだり。自分で電話をかけてみたり。
給食つくりや農作業なども、主体性をもって生き生きと学んでいたのが印象的だった。
地域のいろんな大人たちが、「先生」の役割なのだ。
手取り足取りしなくとも、見よう見真似でいろんなことを吸収していく。
みんな、すごい生命力だなあ。
このモデル校は、約30年前に一人の教育者が一から作り上げ、全国に5校あるが、学校法人つまり私立。
だけどこうした学校も、正規の小学校として行政の認可を受けて全国各地で開校しているわけだから、
公立の学校でもできないわけがない。
実際、本州のいくつかの公立学校でも、志のある校長先生が「通信簿がない学校」「テストがない学校」など、何十年にもわたって実践しているケースがあるのだ。
この映画で学びのエッセンスを身に着ければ、僕たち素人でも呼びかけして設立できなくもない、かもしれない。
ただ労力はすごくかかるだろうな。
やはり理想と現実があるから、僕はそこまで労力をかけることは難しい。
ただ、夏に見学会に行った学校に入れればいいけど、そうでなくても学校の近くに同じような志の保護者や大人たちが集まれば、地域が学びの舞台となるから、それはそれで万々歳な気もする。
僕が思うに、保護者が仕事で忙しいからといって学校に責任を丸投げしているようでは、このような取り組みはできないのでは。
学校側と保護者、保護者と地域社会との間での信頼関係があってこそ、いろんな取り組みができると思っている。
「親」とは、「立」って「木」を「見」上げるのであって、「木」の上に「立」って「見」下ろすのではないから。
娘が小学生になるのを控えて、親の覚悟が試されているのかもしれない。
(この映画の収録が例の騒動直前だったのがなんとも哀しい😢)